こんにちは、megosuriです。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日は、このところ考えていたことを、書いてみたいと思います。
うまく書けるかどうか、わかりませんが…。
いつも、記事が更新されると必ず訪問するブログがいくつかあります。
夕べはそんなブログが2つ更新されていて、さっそく見に行ったところ、お二人とも、失敗して、何度かやり直した、と書かれていたのです。
そのお二人は、私からすると“雲の上の人”のようにすばらしい腕前をお持ちで、もちろん“失敗”と言っても、私のような、やり方を間違った、などというような困った失敗とは違い、よりよくする余地のある失敗のことだと思いますが、それでも、失敗をされることがあるんだ…と、ちょっとほっとしたような気持ちになりました(お二方、すみません)。
というのも、私は失敗続きで、こう見えても、元気をなくしたり、最近では、裁断がちょっと大変な、洋服には手を出す気力がなくなったり(まあ、大人=自分の服については、まだベビ次郎が、完全に食事から栄養を取るところまでいっていないので、着られる服に制限があるというのもあるのですが)、次に何を作るかが、なかなか決まらないまま貴重な夜の時間が過ぎてしまったり…ということがたまにあるからです。
そのようなとき、「そういえば、私はなぜソーイングを始めたのだろう」と明るく、ではなく、悶々と考え始めてしまいます。
お二方のうちのお一人は、「結局わたしは…何をしたいのか?というところに行きつく」とおっしゃっていて、ああ、私と同じだなあ、と(勝手に)思ったのですね。
私はなぜソーイングを始めたのか。何をしたいのか。
これが答えが見つからない感じで、頭の中をぐるぐる回り出すときというのは、どんなときか。
それをまず考えてみます。
・失敗が続いて落ち込んだとき
・(自分にとっては)大作を仕上げたとき
・疲れているとき
・作っていたものが完成したものの、満足いく出来ではなく、不完全燃焼に終わったとき
・自分ではある程度満足する出来だったにもかかわらず、他の人(私の場合は娘であることが多い)からの評価があまり芳しくなかったとき
・そもそも年をとって気が弱くなっている
こうして見ると、ほとんどの場合、
・自分の追い求めているレベルに達しなかった、という自分への失望感
・大作を仕上げたときに代表される脱力感
・疲労感
が根底にあることがわかります。
2番目と3番目はちょっと近いですね。
1番目については、「私はなぜ始めたのか。何をしたいのか」という問いとも大きく関わってくるように思います。
私の場合は…う~ん、改めて考えてみましょう。
私の場合、ソーイングを始めた直接のきっかけは、ハンドメイドの布ナプキンを作られているcandyさんでした。
こちらの布ナプキンに使われている生地のセレクトがとても素敵で、布に興味をもつようになり、自分で自分の持ち物を作ってみたいなあ、と思うようになったのです。
それまでは、お店で、自分の好きだと思う生地を使った雑貨は少々高くても買う、という行動をとっていましたが、それだと、なかなかほしいものにはめぐりあえませんし、(好きな生地のものに)めぐりあったとしても、それがそのとき必要なアイテムとも限らないわけです。
買ってもあまり出番がない、ということがよくありました。
自分で選んだ生地で、自分に必要なものを作れば、そのようなことはないわけですよね。それがきっかけでした。
そう考えると…今自分に必要なものが、まだ作れていない焦りのようなものが、スランプに近い気持ちを生み出しているのかも…。
私は今、自分はまだ“修行中”だということで、幅広くいろいろなものを作って、経験値を上げて、こんなものを作りたいな、と思ったときに、自分なりの作り方ができるようになりたいと思っています。
ただその方法だと、必要なものだけ作る、というわけにはいかないのですね。
ただちに必要ではないものを作ってしまったりもするわけです。
そのあたりで、ちょっと引っかかるものがあるのかもしれません。
また、考えてみると、最近始めた刺繍については、そういえば悶々とすることはありません。
ソーイングを始めたばかりのときもそうでした。
刺繍の方が、それ自体でものを作る、というものではなく、美を追求する、というところが大きい気がしますので、より悶々としそうですが、それは(今のところは)ありません。
ということは、ある段階を過ぎると陥る現象なのか。
もしかしたら私、ソーイングについては、超初心者の段階を終えて、初心者の段階に入ってきたのかもしれませんね。
あとは、自分でも気がつかないうちに、当初持っていた目標、目的のようなものが、積み上げてきた経験などにより、向きを変えている=新しい可能性が生まれかけている、のかもしれません。
そうそう、できるだけプラス思考でいかないと。
ちょっと、いや、かな~り重くなってしまったでしょうか?
でも、じっくり考えることも、私、好きなんですよ。
というわけで、夕べは、今必要だ、と思っているものを作ってみることにしました。
それはまた改めて。
今日のおまけ。
買い物写真日記。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今日は、このところ考えていたことを、書いてみたいと思います。
うまく書けるかどうか、わかりませんが…。
いつも、記事が更新されると必ず訪問するブログがいくつかあります。
夕べはそんなブログが2つ更新されていて、さっそく見に行ったところ、お二人とも、失敗して、何度かやり直した、と書かれていたのです。
そのお二人は、私からすると“雲の上の人”のようにすばらしい腕前をお持ちで、もちろん“失敗”と言っても、私のような、やり方を間違った、などというような困った失敗とは違い、よりよくする余地のある失敗のことだと思いますが、それでも、失敗をされることがあるんだ…と、ちょっとほっとしたような気持ちになりました(お二方、すみません)。
というのも、私は失敗続きで、こう見えても、元気をなくしたり、最近では、裁断がちょっと大変な、洋服には手を出す気力がなくなったり(まあ、大人=自分の服については、まだベビ次郎が、完全に食事から栄養を取るところまでいっていないので、着られる服に制限があるというのもあるのですが)、次に何を作るかが、なかなか決まらないまま貴重な夜の時間が過ぎてしまったり…ということがたまにあるからです。
そのようなとき、「そういえば、私はなぜソーイングを始めたのだろう」と明るく、ではなく、悶々と考え始めてしまいます。
お二方のうちのお一人は、「結局わたしは…何をしたいのか?というところに行きつく」とおっしゃっていて、ああ、私と同じだなあ、と(勝手に)思ったのですね。
私はなぜソーイングを始めたのか。何をしたいのか。
これが答えが見つからない感じで、頭の中をぐるぐる回り出すときというのは、どんなときか。
それをまず考えてみます。
・失敗が続いて落ち込んだとき
・(自分にとっては)大作を仕上げたとき
・疲れているとき
・作っていたものが完成したものの、満足いく出来ではなく、不完全燃焼に終わったとき
・自分ではある程度満足する出来だったにもかかわらず、他の人(私の場合は娘であることが多い)からの評価があまり芳しくなかったとき
・そもそも年をとって気が弱くなっている
こうして見ると、ほとんどの場合、
・自分の追い求めているレベルに達しなかった、という自分への失望感
・大作を仕上げたときに代表される脱力感
・疲労感
が根底にあることがわかります。
2番目と3番目はちょっと近いですね。
1番目については、「私はなぜ始めたのか。何をしたいのか」という問いとも大きく関わってくるように思います。
私の場合は…う~ん、改めて考えてみましょう。
私の場合、ソーイングを始めた直接のきっかけは、ハンドメイドの布ナプキンを作られているcandyさんでした。
こちらの布ナプキンに使われている生地のセレクトがとても素敵で、布に興味をもつようになり、自分で自分の持ち物を作ってみたいなあ、と思うようになったのです。
それまでは、お店で、自分の好きだと思う生地を使った雑貨は少々高くても買う、という行動をとっていましたが、それだと、なかなかほしいものにはめぐりあえませんし、(好きな生地のものに)めぐりあったとしても、それがそのとき必要なアイテムとも限らないわけです。
買ってもあまり出番がない、ということがよくありました。
自分で選んだ生地で、自分に必要なものを作れば、そのようなことはないわけですよね。それがきっかけでした。
そう考えると…今自分に必要なものが、まだ作れていない焦りのようなものが、スランプに近い気持ちを生み出しているのかも…。
私は今、自分はまだ“修行中”だということで、幅広くいろいろなものを作って、経験値を上げて、こんなものを作りたいな、と思ったときに、自分なりの作り方ができるようになりたいと思っています。
ただその方法だと、必要なものだけ作る、というわけにはいかないのですね。
ただちに必要ではないものを作ってしまったりもするわけです。
そのあたりで、ちょっと引っかかるものがあるのかもしれません。
また、考えてみると、最近始めた刺繍については、そういえば悶々とすることはありません。
ソーイングを始めたばかりのときもそうでした。
刺繍の方が、それ自体でものを作る、というものではなく、美を追求する、というところが大きい気がしますので、より悶々としそうですが、それは(今のところは)ありません。
ということは、ある段階を過ぎると陥る現象なのか。
もしかしたら私、ソーイングについては、超初心者の段階を終えて、初心者の段階に入ってきたのかもしれませんね。
あとは、自分でも気がつかないうちに、当初持っていた目標、目的のようなものが、積み上げてきた経験などにより、向きを変えている=新しい可能性が生まれかけている、のかもしれません。
そうそう、できるだけプラス思考でいかないと。
ちょっと、いや、かな~り重くなってしまったでしょうか?
でも、じっくり考えることも、私、好きなんですよ。
というわけで、夕べは、今必要だ、と思っているものを作ってみることにしました。
それはまた改めて。
今日のおまけ。
買い物写真日記。